"禅"に学ぼうと思ったら、何も学べないことを学んだ
最近、自分の周囲で「禅」が流行っています。
困難なミッション、過度なプレッシャー、重視される人間関係、、、
コミュニケーションは日々複雑さを増し、
そこに必要なのは、まず自己を律する力、、、、、
きっと"禅"を学んだら、そういった自己を律する力が湧いて、そういった困難によりうまく付き合えると思っていました。
自分のレベルアップのために、”禅”を学びたいと考えていました。
しかしそんな時、同僚の禅Master(勝手に呼んでいる)の言葉がすごく胸に刺さりました、、、、
曰く「禅をやってみた、そしたらそこには何も無かった」
僕らは上記のような困難に立ち向かう時、
どうしても、本来の心の形を捻じ曲げたがります。
「苛立ってはいけない」
「言葉に気をつけなければいけない」
「相応しい立ち振舞をしなければならない」
見せかけの態度を変え続けていると
「本来の自分の心の形」と「目指す自分のあり方」
に差分が生まれて、
その”ねじれ”がストレスとなって自分の心に押しかかってくるんだと思います。
困難にぶつかったときは、
「自分を変えようと無理をする」のではなく
まず自分の「本来の心のあり方」を見据えてみたいです。
(きっとそこには何もなくて、ただ今の自分があるだけなのでしょうが)
世界を変えるには、まずは自分を変えなきゃいけない
自分を変えるには、まずは自分を知らなきゃいけない
ユーザーやチームや課題のことで日々悩むのもいいけど、
まずは、自分自身に向き合うところから始めようと思いました。
ゆっくりと頑張ります。
まぁいっか、とりあえず今日はビール飲もう🍺